鳳は北天に舞う 金椛国春秋⑧(篠原悠希)の感想/ブログ

今回は、鳳は北天に舞う 金椛国春秋(篠原悠希)の概要と感想をご紹介します。







本の概要
| タイトル | 鳳は北天に舞う 金椛国春秋 |
| 著者 | 篠原悠希 |
| 発売日 | 2020年01月23日 |
あらすじと物語の紹介
この展開は予測不可能!!手に汗握る傑作中華ファンタジー!
死の砂漠から金椛帝都への帰路で、
仲間の裏切りにあい、新興の戴雲国に囚われてしまった星遊圭(せい ゆうけい)。
命の危機を脱し、帝都へ戻る方法を探すが、言葉も通じず四苦八苦。
しかし少年王の教育係となり、母妃の奇病を治したことで道が開ける。
ところが金椛国と敵対する大国・朔露の使者が、
戴雲国に味方につけと迫ってきて事態は一変。
一方、辺境の地で役人を務める宦官の玄月にも不穏な気配が……。
傑作中華ファンタジー、劇的展開!
『鳳は北天に舞う』は、金椛国で生き抜く少年を描く中華風ファンタジー『金椛国春秋』シリーズの第8
巻。
読書記録
- 読了日:2025年11月3日(月)
感想
無事に都に帰還した遊圭。
皇帝・陽元や玲玉とも再会し、玄月の疑いも晴れ、裏切り者の慈仙は告発されることに。
これにて一件落着…のように見せかけて、そうは行かないのがこのシリーズ。
読者としてもいい加減慣れてきました。笑
慈仙の告発は何やら雲行きの怪しいことになる上、後宮内では遊圭の恩人でもある蔡才人が大トラブルに。
まさか玄月の”小月”が蔡才人だったとは…、全然気が付きませんでしたねこれは。
皇帝・陽元も好き好んで玄月と壁を作りたいわけではないのに、皇帝という立場であるが故にこういう過ちがおきてしまうのが切ないです。
玄月は玄月で「大家のせいではない」と何度も口にしていますが、これ絶対自分を納得させるために何度も口にしているタイプの発言だろうな…と思ってしまいます。
なんとか最悪の自体は避けられたものの、蔡才人と玄月の行先も不透明、方や帝国の西側では国境にかなり不安あり、となかなか危うい状態。
その中で遊圭は自らの行先や身の振り方を考えたり、明々とのひとときを過ごしたりと、まるで今作は”嵐の前の静けさ”というべき回だったのかな、と振り返って思います。
最終的に遊圭は自らの成し遂げたいことー、家族と明々を守るために、外戚の特権を使わずに自らの力で可能な限り早く出世することを決めます。
そして、そのために最も手っ取り早く、現在国に迫る一番の危機を取り除く手段として、ルーシャンのいる西に舞い戻り、軍功を立てる道を選ぶのでした。
物語の最後の方では遊圭と玄月が一計を案じて、二人して女装して敵方の後宮に忍び込む…という大胆な行動にも出ており、相変わらずというかなんというか、ともあれこの二人が純粋に力を合わせている姿がなんだか嬉しいようにも感じましたね。
ところがそんな玄月は敵方に残されたまま、物語は幕を閉じます。
戦争は始まったばかり。次巻以降はいよいよ本格的な戦いの物語になりそうな予感がぷんぷんしています。
印象に残ったポイント
遊圭の選んだ道は
遊圭は外戚族滅法がなくなり、麗華公主との冒険を終えた第5巻「青春は探花を志す」からずっと、己の進路について思い悩んでいました。
”星家を再興する”というゴールは明確でありつつ、具体的にどうなれば再興することになるのか。
後宮時代に遊圭の身を助け、同時に適正があった医学の道。
人を救う大切な道でありつつ、国内での地位は低く、その道を極めても星家の再興とは言い難い状況でした。
麗華公主に付き従う途中で身につけた天文学についても然り。
その重要さに反して、国での地位は低いままです。
では、周りが望むように官僚の道を歩むのか。権力争いに明け暮れ、自らの私腹と名誉にこだわる官僚に遊圭はあまり光明を見いだせていません。
そんなわけでずっと悶々と悶々と悩んでいる様子をずっと見てきたわけですが、ついに今作で彼は答えを見出すのでした。
ちょっと長いですが、とっても印象に残っている作中の本文を引用します。
命を守るために医師になりたかった。
しかし、遊圭ひとりが医師となって救える患者の数は、たかが知れている。だが政治家になれば、たとえば女医太学の設置を推進したいという、陽元の医師を扶けることができる。さらに、医師という職業が重く扱われないこの国の観念を、医官の品位の上限を押し上げることで変えていくこともできる。
医師の代わりはいくらでもいる。しかし、何百年もの間、医師の社会的地位を押さえつけていた、この国の価値観を変えることのできる政治家は、滅多に現れない。
また他にも、地道だが重要な研究を続けてこそ、国家を救うであろう学問を保護するのにも、政治家の助けがいる。
天文学者の地位がもっと高ければ、太史監の天文博士であった楊老人のように、絶望して国家と国民の遺産である天官書を、他国へ持ち逃げすることはなかったはずだ。
報われない研究を、後世のために黙々と続けねばなあr内彼らの慟哭と向き合った遊圭が官僚になってこそ、新たな道が拓けるのではないだろうか。
鳳は北天に舞う P.197より引用
人には向き不向きがあって、生まれ持った立場やしがらみというものも、確実にある。
その中で自分の成し遂げたいことを、自分が重要だと思うことを実現するためにはどうすればよいか。
遊圭の悩みの根源はきっとそんなところにあって、その一つの答えがこれだったのだ、と理解しています。
どんなに好きなことでも、どんなに向いていることでも、その道を選べない、というのは往々にして起こります。
人は一人で生きているわけではない以上、それは仕方のないこと。
生活のために、社会的な地位のために、世間体のために、そういった理由で、本来の自分の思うところと違う道を歩むというのはある意味当然のこととも言えます。
でも、その中でも、道を見つけることはできる。
今作は、そういう示唆のようにも思える解の一つだなと思います。
実力と思いと
同じ部分からの引用ですが、自らの行き先に迷うのと同時に、遊圭は自らの実力不足にも悩まされてきました。
果たしたい、達成したい目的に対して実力があまりにも不足していること。そのことに対してもずっと悩んでいたんですよね。
そこに対しても、一つの答えを導き出しています。
目的を果たすための実力がたりなさすぎて、二の足を踏んできたが、先送りにしても何の解決にもならない。
~中略~
理不尽な世界を、弱い者たちが少しでも行きやすくするために、遊圭にできることは、なんであろう。
もしもこれが、方術士の予言した天命ではないのならば、朔露の鉄槌を以て、天が遊圭の傲慢に罰を下すだろう。
鳳は北天に舞う P.196,8より引用
答えの質は2つあります。
一つは、「悩んでいても仕方ない!」というある種の思い切り。
まさしく仰るとおり、という感じなんですよね。できるか出来ないか悩んでいても正直どうしようもなく、むしろそんな時間・余裕があるのならさっさとやることをやったほうが良い!というのはずーっと言われていることではあります。
ただ、この思い切りに舵を振り切るのが、難しい。
遊圭はこれまでの冒険や経験を経て、ついにそちらに振り切ることが出来たのだろうなと思います。
もう一つは、「人事を尽くして天命を待つ」という姿勢。
最終的には運でしかないことも、世の中には沢山あります。でも、そんな運をばかり気にしていても仕方ないし、そもそも運要素について人間ができることなどなにもない。
だから人は、今できること、今やるべきことだけをひたと見つめて、それだけをひたすらに取り組んで。
後は天が判断を下すのを待つ、というのが正しい姿勢なのだろうと思います。
なんというか、これは「神を信じる」とか「天の裁きを」というような信仰心とは全く別のところで。
要は、”どうせ運ゲーだから”と諦めてしまうのではなく、ただ、今できることをやる、という姿勢。
こうした姿勢を自身も忘れずに日々過ごそう、と改めて思わされる場面でした。









