わたしを離さないで(カズオ・イシグロ)の感想/ブログ | なぜ私たちは、この物語を忘れられなくなるのか

今回は、わたしを離さないで(カズオ・イシグロ)の概要と感想をご紹介します。
静かな語り口なのに、読んでいるうちに胸の奥がじわじわと締めつけられていく——。
『わたしを離さないで』は、そんな不思議な読書体験をもたらす小説でした。
「介護人」「提供者」「ヘールシャム」という不穏な言葉が当たり前のように使われる世界。
最初は意味が分からないまま物語が進んでいきますが、少しずつ、その裏にある“真実”が浮かび上がってきます。
これはSFであり、ミステリーであり、そして何より「人が生きるとは何か」を問いかけてくる物語。
今回は、そんな『わたしを離さないで』のあらすじと感想を語っていきます。
本の概要
| タイトル | わたしを離さないで |
| 著者 | カズオ・イシグロ |
| 発売日 | イギリス 2005年4月5日 日本 2006年4月22日 |
あらすじと物語の紹介
優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設へールシャムの親友トミーやルースも「提供者」だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく。
読書記録
- 読了日:2026年1月8日(木)
2026年最初に読破した小説。
感想
冒頭から登場する「介護人」「提供者」という不穏なワードと、「ヘールシャム」という場所ー。
それらの言葉を自明のものとして主人公のキャシーの語りで物語は進んでいきますが、読み進めるにつれそれらがどういうことなのかが徐々に解き明かされていき、その裏にある”真実”が読み手にも分かるようになる…。
この小説はそんな形を取っています。
個人的な話になりますが、実は私はこの小説を読む前に物語を知っていました。
それは、2016年に綾瀬はるか主演によってTBSでテレビドラマ化された「わたしを離さないで」を当時見ていたからです。
テレビドラマ版では登場人物の名前やいくつかのキーワードが原作と異なりますが、大まかな筋書きは同じ。
当時ほんの学生だった私にとって、ドラマの内容はかなり衝撃的で、9年たった今でも忘れること無く印象に残っています。
それ故に、原作である本書を読み始めた当初から「提供者」「介護人」がどういう意味を指すのか、「ヘールシャム」という場所が何なのかについては把握していました。
物語の構成上、徐々にだんだん霧が晴れるように真実が分かる…、という形を取っているので、まっさらな状態でこの本にたどり着けなかったことが残念ではありますが、小説ならではの細かい描写や心情の描かれ方には胸を打たれましたね…。
原作小説が発表されたのは2005年。
クローン技術については今の世の中でもまだまだ最先端の科学で、あまり実用化には至っていない研究段階…という認識ではありますが、当時からクローンの倫理的な部分についてこうして深いところまでフィクションとして描かれていた、という事実にも驚きます。
物語としても面白く、本としても非常に読みやすく、分かりやすい。
それでいてミステリーのような謎解き要素もあり、読み進めるごとに徐々にそこにある真実が解き明かされていくワクワクもある。
そして、読了後のこのなんとも言えない感じ。しばらくキャシーたちについて思いを馳せずにはいられないだろうなあ…と思います。
印象に残ったポイント
ヘールシャムでの他愛もない幼少期のエピソード
物語の第一部では、173ページというなかなか長い紙面を用いてヘールシャム時代のエピソードについて語られています。
それも本当に他愛もない、キャシーと彼女を取り巻く友人たちとの日々の生活や、やり取りについて。
正直、読み進めているときは「どうしてこんなに細かいところまで描写するんだろう」と思ったり、若干似たようなエピソードが続いて退屈に感じる部分もありましたが…
後に成長したキャシーとトミーがエミリ先生から知らされたヘールシャムの真実を知り、この描写がいかに重要なものだったのかが身に染みる事になりました。
ヘールシャム、だけだったのか。こういう日々を、こういうエピソードを刻めたのは。
他の施設で育った提供者であるクローンたちは、エミリ先生が言うところの”もっと劣悪な環境”で育っていた。
キャシーやトミーが、いわゆる普通の人間である読者が共感できるような、「ああこういう幼少期ってあったよなあ…」と思うような日々を過ごせたのは、ヘールシャムだったから、というわけです。
だからこそキャシーは、自身の思い出の振り返りとしてそのヘールシャム時代のエピソードを多く語っていたのでしょう。
それを思うと、序盤に感じていたあの退屈だな、という感情は一転して、もう二度目は第一部を涙無しに読み返すことは出来ないな…と思います。
いずれ「提供者」となる生徒たちはどう生きるべきか
物語の終盤、キャシーとトミーはエミリ先生の口から、ヘールシャムの真実について聞かされます。
結局、ヘールシャムとは何だったのか。
それはエミリ先生たち”普通の人間”サイドから見て、いずれ「提供者」となることを決定づけられた生徒ークローン人間たちに対して、彼らも”人間”となりうることを”普通の人間”たちに証明する手段でした。
もちろん、エミリ先生もマダムもそうやってチェスの駒のように生徒たちを見ることに対して、胸が痛まなかったわけではありません。
でも、”普通の人間”サイドに生まれた彼女たちにとって、それが生徒たちに寄り添う最大の方法だったのだと思います。
そして、このシーンでは読者である私たちの立場も否応なく突きつけてくるんですよね。
これまでの物語では、ずっとキャシーの目線から物語を見てきていて、読者もヘールシャムの生徒の一人であるかのような追体験をしていました。
でも、エミリ先生とマダムの話を聞いて、私は納得してしまいました。
そうか、そういう理屈で動いていたのか。エミリ先生とマダムは物凄い人格者だったのか、と。
だから、その後キャシーが発した言葉にハッとさせられたんですよね。
「追い風か、逆風か。先生にはそれだけのことかもしれません」とわたしは言いました。
「でも、そこに生まれたわたしたちには人生の全部です。」
突き詰めると、思うのは、結局人生とは何なんだろうな、ということです。
いずれ「提供者」となって、臓器移植をされ使命を終えることになることが決まっている生徒たち。
その事実に対して、「どうせ若くして命を落とすことが決まっているのなら、全てが無駄」ということになるのか、ならないのか。
自分の命が若くして終わることが分かっていたとして、それまでの日々を生きるのは果たして無意味なのか。
色々悶々と考えてもこの答えは辿り着けそうにも無く…。
ただ、ヘールシャムで行っていた”創作”というものは、一つの答えとしてはあるのかもしれないなあ、という感触だけはあります。
総合評価
『わたしを離さないで』は、クローンというSF的な設定を使いながら、
実はとても静かで、人間的な物語を描いた小説でした。
ヘールシャムでの穏やかな日々、友人との何気ない会話やすれ違い、
そして少しずつ明らかになる世界の残酷な仕組み。
そのすべてが、読者に「人生とは何か」「生きることに意味はあるのか」という問いを投げかけてきます。
たとえ未来が決まっていたとしても、そこで過ごした時間や、感じた想いが無意味になるわけではない。
キャシーたちの物語は、そんな当たり前で、しかし重い事実を私たちにそっと突きつけてきます。
読み終えたあと、しばらく心の中に残り続ける一冊。
切なくて、美しくて、そして忘れられない物語を求めている人に、ぜひ読んでほしい作品です。
しばらくは余韻を引き摺りそうですね…

