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神と王<謀りの玉座>(浅葉なつ)の感想/ブログ

神と王<謀りの玉座>(浅葉なつ)の感想/ブログ

こんにちは、ゆーです。

今回は、神と王<謀りの玉座>(浅葉なつ)の概要と感想をご紹介します。

 

▼「神と王」第一巻の感想はこちら

 

本の概要

タイトル神と王<謀りの玉座>
著者浅葉なつ
発売日2022年11月08日(文庫版)

 

 

あらすじと物語の紹介

 壮大な謎、魅惑の世界。神話ファンタジー第2巻
『神様の御用人』浅葉なつ による新シリーズ『神と王』第二巻!

丈国の建国十年を祝う式典への招待状が斯城国王・琉劔のもとに届いた。
名代として丈国へ赴いたのは、琉劔の若き叔母・飛揚。
記念日に沸く民の様子を目にした彼女は、ふと違和感を抱く。

「世界のはじまり」の謎を追う琉劔は、歴史学者の慈空とともに
畏怖の森「闇戸」へ。そこに暮らす一族・日樹の祖父母から、
杜人に伝わる不思議な物語を聞かせてもらう。
だがそんな時、丈国には恐ろしい災厄が襲い掛かっていた――

危機に陥ったこの小国を支配する女神と、民から忌避される王。
闇戸の一族にのみ伝わる深い知識と伝説は、何を示唆しているのか? 

 

『神と王』シリーズの第二作品目。

第一巻の主人公・慈空も再登場し、舞台は建国間もない国・丈国へ。

 

読書記録

  • 読了日:2025年10月15日(水)
  • 第一巻を読み終えた後、そのまま第二巻へ。あっさり読み切ってしまいました。

 

感想

前作に登場した慈空、琉劔、日樹を中心に、闇戸を挟んで斯城国の隣に位置する国・丈国を舞台に展開される物語。

 

第二巻は誰が主人公、ということもなく、群像劇のような様相で描かれていたのも印象的

新たに丈国の魅力的な人々も登場し、それぞれの人柄や考え方に触れ、惹かれ。

前作でラストに名前だけ登場していた飛揚さんの人柄も知ることができて良かったですね!笑

 

スメラを探す、という大目的はそのままに、でも丈国の物語として一冊として綺麗に完結している物語。

長く続くであろうシリーズだからこそ、一冊一冊がこうやって綺麗な起承転結を描いているのは読んでいて気持ちが良いなと思います。

(まあ逆に綺麗に終わらず、次巻の発売を首を長く長くして待ち望むタイプのシリーズものも良いんですけどね。笑)

 

特に今回の丈国の物語は分かりやすく、面白かった。

絶対的な女神が君臨する国で、民のことを考えてあえて神に抗い、裏切り、王の座についたこと。

その覚悟と、成し得たこと。

その道は苦難が多く、それでも折れずに父との約束として前に進み続けた牟西王の人柄には魅せられましたね…。

そしてラストの展開で、民が牟西王を気遣うシーンではぐっと来ました。

 

おそらく今後のシリーズでは一旦丈国のことはメインでは描かれなくなるのだろうな、とは思いますが、今後も牟西王の下で末永く発展してほしいな、と願わずにはいられません。

 

後々琉劔が斯城国の王として牟西王と対面する時が、今から楽しみです。笑

 

印象に残ったポイント

神と王について

第一巻と同じポイントになります。

第一巻で描かれた「神とは何か、王とは何か」という命題を、より突っ込んで深く触れてきたな!という第二巻でした。

 

第二巻で登場する丈国は、圧倒的な信仰心を集める女神が君臨する国。

国の成り立ちとしても、「他の民族に我々の女神を取り上げられては困るから団結しよう」というもので、そもそも女神ありき、の国なんですね。

だから、日々の全ては女神のためですし、何かがおきたときに縋るのも女神。

個人や国の重要な決定も、すべて女神の信託によって成されるわけです。

 

現代日本人としては「いくらなんでもそれはやり過ぎでは」と咄嗟に思わずにはいられないほど、政治と信仰が深く深く結びついているんですよね。

それも、”信仰を利用して政治する”というよくあるパターンではなく、純粋に、国民全員が自然に政治よりも信仰が前に来る、という形で。

 

そして丈国はその信仰心故に、国の危機に陥ります。

その危機を救ったのは、神を裏切る形で王座に座った、牟西王だったのでした。

 

確かに神は人に恵みをもたらすかもしれない。

でもすべてを神のおかげ、神のせいにしてしまったらどうなる。

人を救うのは神ではなく、王なのではないか。

 

第一巻から継続して語られていたこの言葉が、より重みを持って繰り返し語られるような、そんな物語だったなと思います。

 

印象的だったのが、杜人のもとに身を寄せた細(もとい、栄那)に、三実がかけた言葉。

 

羽衣の上達を願って祈っとるより、練習したほうが上達するに決まっとろう?

 

杜人の神との付き合い方がよく分かるこのセリフ。女神が絶対だった世界から来た細にとっては、青天の霹靂のような衝撃だったことは想像に難くありません。

そして、これは案外現代日本人にとっても当てはまることだな、と。

 

すべてを神のおかげ、神のせいにするのはある意味逃げでもあって、自分の生に意図的に無頓着であることでもある。

だから、今自分にできることを、と動くことは決して間違っていないんだよ、ということなのでしょう。

 

神とはなにか、ということに対する、完全ではないものの一つの答えとしてしっくりくるポイントだなと思ったところでした。

 

昔からの風習を守ること

作中の丈国では、昔からの風習を守らなかったことにより大災害に見舞われ、最終的に国の存続レベルの危機にまで発展しました。

 

この、「理由はよくわからないけれど昔からダメだと言われていること」って、想像以上に怖いんですよね。

雛人形をしまい忘れると婚期が遅れる、とか。

お盆の期間に水遊びをしてはいけない、とか。

最近だと、「昔は人が住んでいなかった場所を開発して綺麗なタワマンを立てたら、大雨で大水害がおきた」…なーんて例もありました。

 

昔から続いていることを「根拠がないから」と切り捨てるのは簡単ですが、改めてフィクションでもそういった情景を目の当たりにすると、ゾッとしますね…。

とりあえず、なんとなく肌で知っているそういう言い伝えには無闇に抗わないようにしよう…、と思います。笑

 

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